今度の爆報!THE フライデーでは横浜銀蠅のリーダー嵐が出演するという。

横浜銀蝿といえば、

ツッパリHigh School Rock’n Roll (登校編)

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昭和だ。

そんな嵐が久しぶりにテレビに出るというのだが、「小脳梗塞で半身麻痺」だという。

しかも7億円の借金…

一体何があったのか、調べてみることにした。

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横浜銀蝿 嵐プロフィール

本名  田宮 淑行(たみやよしゆき)
誕生日    1955年4月15日
性別    男性
血液型    AB型
職業    横浜銀蝿リーダー
趣味    フェレット
住所    神奈川県
特技    きき酒
性格    ちょっとHでちょい悪?オヤジ         
似ている有名人    帽子にヒゲにサングラスのヤツら

かっこいいではないか。

最後の似ている有名人は

「帽子にヒゲにサングラスのヤツら」

ほぼ全員である。

横浜銀蝿とは

横浜銀蝿は4人で活動するロックバンド。

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メンバーは
ボーカル・ギター:翔
ギター・ボーカル:Johnny
ベース・ボーカル:TAKU
ドラム・ボーカル:嵐(翔の実兄)

リーゼントの髪型にサングラス、ライダー革ジャンスタイルで、1980年前半に若者の人気を獲得した。

横浜銀蝿の正式名称は「THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL」。
これは、世界一のロックバンドになるために、世界一長いバンド名にしようということでついたらしい。

当時はロックといえばこういうスタイルだった。

キャロル

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嵐を襲った病魔とは

日本医科大学武蔵小杉病院で小脳梗塞後出血の緊急手術を受けたのは2004年4月26日、49歳のときのこと。

その3日前から症状が現れていたといい、手術当日はすでにろれつが回らなくなり、頭痛や嘔吐などの新たな症状が出現し呼吸停止に陥ったという。

「会わせたい人がいたら、いまのうちに呼んでおいてください」と、担当の脳神経外科医から告げられたというからいつ死んでもおかしくない状況だった。

後頭部の頭蓋骨をノコギリで切り開く大手術。

6時間に及ぶ手術の末、無事成功した。

当時の記憶は嵐は全くないという。

だが、手術は終わったが、右手と右足の動きがままならなくなった。

障害を残さないためにはリハビリが不可欠だったため、手術後3日目から歩行器を用いてリハビリが始まった。

リハビリは相当きつかったらしいが、その甲斐もあってわずか1か月後に退院。

後遺症については最小限に抑えられたという。

 

ドラマーとして復活

日常生活でも少しずつリハビリを続けていた嵐だが、嵐の仕事はドラマー。

全身を使って演奏するだけに、右手、右足の動きが気になったという。

当初は右手の握力が弱くなり、スティックをポロポロ落としてしまうたびに涙がこぼれたそうだ。

さらに加えて、シンバルの強烈な音で、頭がギンギンし、歌を唄うときに音程をとるのがままならなくなったという。

しかし、サイレントドラムでひたすら練習に明け暮れるなどリハビリを続けた。

そして1年後の2005年4月24日、『第9回嵐ちゃん祭り―嵐さん復活不死身ライブ』で1曲ではあるが歌を披露、翌06年6月9日の『横浜銀蝿結成25周年記念コンサート』では、1曲限定でドラムにも挑戦したらしい。

現在ではドラマーとして復活し、再びステージで活躍している。

 

まとめ

実は最初の診察を受けたきっかけは、その前日飲みに行った居酒屋でたまたまそこに居合わせた日本医大武蔵小杉病院のベテラン医師(放射線科)から

「回転性のめまいを軽視してはいけません。明日は土曜日ですが、土・日でも救急は開いているからうちの病院へ来てください。私がきちんと診てあげますから……」

という助言をもらっていたかららしい。

そこへ診察してもらうための紹介状を書いてもらうために近所のクリニックを訪れたという。

もし、この日、嵐が飲みに行っていなかったら…大変なことが起こっていたかもしれない。

…週末は飲みに行かねば。

 

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