世界遺産で有名な 「マチュピチュ」が今度「未来世紀ジパング 」で取り上げられるという。

ぜひ行ってみたいのだが、残念ながら、大の飛行機嫌いだったりするので、テレビやネットで我慢したい。

ネットを見ていると、

「この村の初代村長は福島県出身の野内与吉氏」

というではないか。

調べてみることにした。

出典

 

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野内与吉氏プロフィール

野内与吉氏は、 福島県安達郡大玉村出身。

裕福な農家に生まれるも海外で成功したいという夢を抱いて、1919年に ブラジルに渡り、 その後ペルーに入国した。

手先の器用だった野内は、何もないマチュピチュ村に川から水を引いて畑を作り、水力発電を作り、村に電気をもたらしたり、村で故障した機械も修理していたという。

1935年には マチュピチュ村初の 本格的木造建築 3階建てホテル「ホテル・ノウチ」 を開業。

3階建てで21部屋を持つ立派なホテルであった。

与吉は自分のホテルを村のために提供し、1階は村の郵便局や交番として無償で貸していたという。

また、後には2階も村長室や裁判所として使用されていたことからホテル・ノウチが村の中心となってマチュピチュ村は発展していったことがうかがえる。

スペイン語のほかに 英語も話せ、 ケチュア語にも精通していた 野内氏は、苦労を厭わず、 村のために尽くして 多くの村人達に喜ばれたそうだ。

こうして村人の人望を集め、信頼された野内氏は、1948年にマチュピチュ村村長に任命され、3年間村長として務めた。

野内与吉氏が注目された理由とは?

日本では野内氏の消息は不明となっていたらしいが、それが明らかになる日が来る。

1958年、三笠宮殿下がペルー訪問し、マチュピチュ遺跡を見学した際に野内氏の長女オルガ・野内氏が三笠宮殿下に花束を贈呈。

その記事が「福島民報」に掲載され、その記事を野内氏の家族が目にしたことで野内氏の消息が明らかになった。

その後家族は日本大使館を通じて野内氏と連絡をとり、旅費を集めたおかげで、1968年故郷である福島県大玉村に52年ぶりに帰郷

野内氏の両親はすでに他界していたが、兄弟や親戚が歓迎した。

彼の中では日本の時間は止まったままだったようで、野内氏は日本に着くと「電気はついたか?」と質問したエピソードが残されている。

その後、日本に残るよう説得する家族を制し、野内氏はペルーで待つ11人の子ども達のためにわずかな滞在でペルーに戻る。

ペルーのクスコに戻ってわずか2か月後の1968年8月29日、野内与吉氏は 息を引き取った。

野内与吉氏の子孫がいた!

数年前、野内氏の出身である大玉村で「あだたらを知る会講演会」が開かれた。

講師として野内・シーザー・良郎氏(マチュピチュ初代村野内与吉さんの孫)が

タイトル「マチュピチュの風を感じて」

の講演を行ったという。

今後は村と村どうしの交流を深めていきたいとしている。

 

まとめ

世界的に有名なマチュピチュ。

今から100年以上も前に活躍した日本人がいたことに、改めて驚かされる。