今度の世界ナゼそこに?日本人ではネパールで貧しい子供のために200校以上の学校を作った日本人が紹介されるという。

その日本人の名前は垣見一雅氏。

子ども達から「OKおじいさん(OK Baji)」とよばれ、多くの人から愛される存在だという。

いくら貧困の国とはいえ、一人の人間が200以上の学校を作るのは容易ではない。

どんな人物なのか、調べてみることにした。

バジの写真1

出典

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 垣見一雅氏プロフィール

生年月日:昭和14年6月8日生まれ。

出身:東京都

学歴:早稲田大学商学部卒業

経歴:順心女子学園教諭を退職後、平成5年から15年間ネパールのパルパ県ドリマラ村に住み、学校建設,灌漑水路建設,医療援助などをつづける。

平成9年当時の国王からゴルカダッチンバウ勲章IVを授与される。

21年吉川英治文化賞。

垣見一雅氏がネパールに住む理由とは

順心女子学園で英語教師を務めていた垣見氏がネパールの住む理由となったのが、ヒマラヤ登山中に雪崩に遭い、ご自分のポーターが亡くなったことだという。

1990年、ヒマラヤのアンナプルナ山群マチャプチャレベースキャンプで山歩き中に大雪崩に巻き込まれ、その時一緒にいたネパール人ポーターが犠牲になった。

2年後、そのポーターの故郷東パルパのドリマラ村をを訪ねると厳しい条件の中で暮らす人々の姿が見え、移住を決意。

1993年に退職し、パルパ郡で草の根ボランティアとして1人で活動を始めた。当初村人たちに頼まれると、なんでも「OK!OK!」と言っていたところから、「OKバジ(バジはネパール語でおじいさん)と呼ばれるようになる。

村人は土づくりの6畳ほどの家を垣見さんのために建てたというが、車の行かない村々を歩いては、村の人々が何で困っているかを聞いて回っているため、ほとんど家には帰っていないらしい。

垣見一雅氏が愛される理由とは

 垣見氏が村を歩くと、どんなに遠くからでも子ども達が「バージー!ナマステー!」と声をかけるほど、みんなに愛されているらしい。

ある村ではバジさんの姿を見たとたんに泣き始めるおじいさんもいるほど。

バジの写真2

そこまで愛される理由とは「現場優先」「住民主体型」の支援を徹底してきたからだ。

その活動は

  • 医療支援(ヘルスポスト、医療費支援など)
  • 教育支援(学校建設、奨学金、教師給与補助など)
  • 水プロジェクト(灌漑用水、給水設備など)
  • 生活環境改善プロジェクト(バイオガス、つり橋など)
  • 自立化支援(農作業技術指導、山羊等の購入資金援助、種子援助など)
  • 生活物資支援(衣料、寝具など)
  • 植林プロジェクト

など幅広い。

まとめ

垣見一雅氏は毎年雨期で村々を回る活動のできない2ヶ月だけ日本に帰り、日本国中を講演して回る。

講演のない日は、ネパールに戻ったときに米を買い、米を買えない貧しい家にプレゼントしに行くため、電車を使わずに歩いて二百数十円の電車代を貯めるそうだ。

たった一人の人間がここまでできるのであれば、さらに力を合わせれば、もっといろんなことができるはず。

彼の活動について、詳しくはこちら。