今度の笑ってコラえて!では4年3か月・昇給ありボーナスありで自転車世界一周したサラリーマンの話が取り上げられる。

自転車で世界一周、男としてはロマンを感じる(僕はたぶん、行かんけど)。

しかもそれが昇給有りでボーナスあり?

一体どんな話なのか調べてみた。

幼いころパリで見た「ツール・ド・フランス」で自転車にあこがれた

出典

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坂本 達氏プロフィール

1968年 東京都生まれ。

92年 早稲田大学政経学部経済学科を卒業

92年 株式会社ミキハウスに入社

1995年9月26日~1999年12月28日までの4年3カ月間、有給休暇扱いで自転車世界一周の旅に出る。

有給扱いで自転車世界一周というのは本人もすごいが、それを許した会社もすごい。

一体どういう経緯で世界一周に挑むことになったのだろうか。

 

坂本 達氏が世界一周をしようとしたきっかけとは?

坂本は商社マンだった父の仕事でパリに住んでいたことがある。

その時に見た世界最高峰の自転車レースとして知られる「ツール・ド・フランス」に憧れを抱いたそうだ。

いつか自転車で旅に出て世界中の人がどんな所に住み、何を食べ、何を感じているのかを知りたいという少年の願いは大人になって会社に入ってからも続いた。

ミキハウスには社長への定期業務リポートというものがあり、業務の報告書が提出されるが、坂本氏のすごいのはそこに勝手に「自分の夢」という項目を作って世界一周の企画を提案したこと。

全く個人的なことを会社に持ち込むのなんて普通やるわけない。

そんな普通でない個人に対して、普通でない社長が応えた。

入社4年目の新年会の席でこの企画の採用が発表された。

会社側が出した条件は

「月1回の報告書を出すこと」

「帰国後、子どもたちに旅の話ができるように写真をたくさん撮ってくること」

「無事に帰ること」

だったそうだ。

この条件を元に坂本氏はボーナス、定期昇給まで付いた異例の有給休暇を与えられたのだった。

坂本 達氏、世界一周の旅へ

1995年、坂本氏は世界一周の旅へ出発することとなる。

自転車は荷物を括りつけた重さで50kg以上となった。

冒険の軌跡は下にまとめがあるが、走行距離は5万5000km、訪れた国は43カ国にもなったという。

冒険の足跡

出典

 

生命の危機が訪れたのは、アフリカ・ギニアの小さな村に辿り着いた時。

ここでマラリアと赤痢を併発してしまったのだ。

40℃の熱で下痢が止まらず、一歩も動けない。

死を意識し始めた時、それを救ってくれたのは診療所の医師シェリフさんだった。

その時、貧困にあえぐ村は注射薬がたった1本しか残っていなかったという。

だが、その貴重な薬を遠い異国からの旅人に投与してくれた。

さらに村人たちによる看病・介護・食事の世話。

遠い異国からの旅人に対し、村に残された最後のマラリア治療薬を注射してまで治療を施し、汚れた下着の洗濯までしてくれたという。

村のおばちゃんが日本風のお粥を作ってくれたときには、もう号泣するしかなかった。

回復後、現金を渡そうとすると、医師は「友達からお金なんてもらえない」と受け取らなかったらしい。

異国の地、決して裕福ではない人たちの思いやりと想像をはるかに越えた優しさに直面した坂本氏は後日、

「人は1人で生きているんじゃない。人に生かされているんだなと思った」

と振り返っている。

その後、世界一周を成し遂げた坂本氏はこのことを決して忘れることなく、恩返しのプロジェクトに取り組む。

それはお世話になった村での井戸づくり。

世界一周をまとめた本の印税をつぎ込み、現地に深さ約20メートルの井戸を完成させたのだった。

 

この世界旅行をまとめた著書『やった。』は、2005年高校英語の教科書に採用された。

やった。―4年3カ月も有給休暇をもらって世界一周5万5000キロを自転車で走ってきちゃった男

そして、井戸を掘った話も著書『ほった。』にまとめられている。

ほった。―4年3カ月も有給休暇をもらって自転車で世界一周し、今度はアフリカにみんなで井戸を掘っちゃった男

 

まとめ

子供の頃からの夢を実現させることができる人間が、果たして一体どのくらいの割合でいるのだろうか。

しかも、定職についてしまった後でも夢を追い続けることができる人間がどのくらいいるのだろう。

坂本氏はそれを実現した。

夢を追い続けることがいかに大切なのかということを教えてくれた。

 

そして忘れていけない人物がもう一人。

さらにすごいのはそれを実現させたミキハウスの社長である。

たった一人の社員の夢をかなえるために給与もボーナスも有給も全て与えた。

懐の大きさを感じさせられる会社だ。