次回のアンビリバボーは2003年全米オープンでの物語。

伝説のキャディ、ブルース・エドワーズについての話が取り上げられる。

単なるゴルフバッグ担ぎであったキャディが、なぜここまで注目をあびることになったのか、調べてみることにした。

ブルース・エドワーズ

出典

1973年ブルースが18歳の時に、当時23歳であったトム・ワトソンと運命的な
出会いを果たす。

ブルース・エドワーズ:

プロゴルファー、トム・ワトソンのキャディを30年以上務めた伝説のキャディ。コネチカット州出身で13歳の時にグレーターハートフォードオープンでディック・ロッツのバッグを担いでキャディデビューを果たした。
ニューヨーク・ヤンキーズでベーブ・ルースと共に活躍したルー・ゲーリッグの生命を奪った事でも知られるALS(筋萎縮性側索硬化症)という不治の病に倒れる。

2004年4月永眠

トム・ワトソン:

アメリカのプロゴルファー
1971年にプロゴルファーになり「新帝王」と呼ばれる
1970年代〜80年代半ばまで、メジャー大会で8度優勝、ゴルフ界のトップへ
88年世界殿堂入りを果たす。

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トムはブルースをキャディに採用していきなり6位入賞を果たし、その後、2人で35勝を挙げた。

だが、どんなスポーツ選手もスランプがやってくる。

プロゴルファーのピークが30代であるといわれているそうだが、トムも例外ではなかった。

ブルースエドワーズの助言もむなしく、トムワトソンの成績は振るわない。

出場を見合わせる試合が増え、ブルースに一流の選手からのオファーが殺到するようになった。

既に名キャディとしての実力は知れ渡っていたブルースの為を思って、トムはコンビ解消を提案、1989年~1992年の3年間、ブルースはグレッグ・ノーマンのキャディをするためトムの元を去った。

だが、ブルースエドワーズは再び、トムのキャディに復帰する。

そして更に4年後、トムワトソンは9年ぶりに優勝を果たした。

二人が絶頂の時、2003年ブルースは難病である『ALS(別名:ルー・ゲーリッグ病)』と
診断され余命1-3年だと告げられる。

そしてその年、トムとブルースは全米オープンに出場する事となった。

王者タイガー・ウッズを含む、若くて実力のある選手が参加していた中、20年もメジャー大会で勝利のない53歳のワトソンが参加、周囲は誰も期待していなかったという。

そんな中、トムは奇跡を起こす。

彼は、自己最高スコアを出し、初日トップタイとなった。

53歳での初日トップは、史上最高齢の記録。

残念ながら最終日は28位でフィニッシュとなるが、まるで優勝したかのようにトムとブルースには観客から大歓声がおくられた。

観客もこれが二人にとって最後のプレーとわかっていたからだ。

NBCスポーツにブルースは『トムは僕の為にやってくれた』と涙ながらに語っている。

そしてこの10ヶ月後、ワトソンと共に戦い続けたブルースは、49歳で人生に幕を下ろすこととなる。

 

まさに出会うべくして出会った二人である。

ブルースがいなければおそらく今のトムはいない。