今度のおじゃマップではいまやテレビで引っ張りだこの木下威征シェフがある難病の女性のためにつくった「泣きメシ」が紹介されるという。

昔不良のリーダーだったという木下シェフが、今の地位に辿り着くまでにはいろいろあったと聞く。

一体どんな話なのか調べてみることにした。

出典

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木下威征プロフィール

1972年生まれ。

辻調理師専門学校を首席で卒業しフランスへ留学。

三ツ星レストランで働き、帰国後は【AUX BACCHANALES】に入店。

5年の修業を経て、パートナーと【モレスク】を開店。

2008年【オー・ギャマン・ド・トキオ】を開店。

現在は5店舗のオーナー。

情に厚く温かい人柄が多くの人の心を掴み、お客からは「木のやん」、全国に点在する門下生からは「おやじ」の愛称で慕われている。

木下威征シェフの泣きメシとは

木下威征氏は若い頃やんちゃだったらしい(なんとなく面影が残っているな)。

そんな不良のリーダーだった木下氏が料理の世界に飛び込んだきっかけは、母親の姿だった。

それまで警察に厄介になることはあったらしいが、ある日捕まって母親が迎えに来た時、その母親の頭のアチラコチラに10円ハゲがあるのを見つけたらしい。

それをみて、

「これはまずいな」

と思ったようだ。

そして初めて友達にチャーハンを作った時に、友達が喜んで食べるのを見て料理の世界に進もうと決心したらしい。

そしてその場で見つけた雑誌にあった料理の専門学校に行きたい、と両親に告げ、バイトをしながら学校に通うことになった。

そこで本気になって勉強し、料理学校を首席で卒業することとなる。

そしてフランスでの修行。

だが一流のお店で修行したことが彼を天狗にしてしまったようだ。

フランス料理を食べさせてやっている。

そんな気持ちがあったのかもしれない。

 

そのような中で木下はある家族と出会う。

すでに常連になっていたお金持ちのご家族だ。

その毎週通ってくれたお嬢さんが小児がんになってしまった。

アメリカで手術をすることが決まり、父親になにか食べさせて欲しいと頼まれる。

何が食べたいかと尋ねた所、

「ファミレスに行ったことがないからお子様ランチが食べたい」

と答えたらしい。

手術が終わったら食べさせることを約束するが、様態は良くなく、次に会った時は余命1・2日という状態だった。

それでも

「きのやんの料理が食べたい」

という少女に、ラーメンでも和食でも、なんでもいいから食べさせたいという思いで作ったのはフランス料理ではなくお子様ランチ。

もう何日も食べられれない状態だったが、そのお子様ランチは完食したという。

それから1週間ほどして少女は旅立っていった。

 

その後お父さんからもらった手紙には、

「暖かい料理が食べたい。もう一度木下シェフのお子様ランチと、たった一度だけ母親に作ってもらった世界一まずいお弁当をもう一度食べたい」

とあったそうだ。

それ以降、木下シェフの料理は、フランス料理から木下料理へ変わっていく。

メニューを消し、お客さんが本当に食べたいものを提供するようになっていったという。

 

まとめ

出会いというのは人生においてとても大事であるということを感じさせられた。

今回彼が出会った人たちが一人でもいなかったら、今の彼はいない。

そんな彼が自分を振り返り著書に著している。

機会があったら読んでみたい。

 

新しい人生のつくり方