今度の世界ナゼそこに?日本人にミャンマーの秘境で貧しい人々の命を救うために無料で巡回診療をしている日本人女医が登場するという。

彼女の名は名知 仁子さん。

この番組を見ていると、本当に

「なんでそんなとこにいるん?」

と聞いてみたい人たちばかりである。

一体どのような人物なのか調べてみた。

出典

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名知 仁子(なち さとこ)プロフィール

1963年新潟生まれ。

1988年 獨協医科大学卒業第10期生。

1989年 日本医科大学第一内科医局入局。

2002 年国境なき医師団の登録を経て、海外医療援助活動に初参加。

2008年 「ミャンマークリニック菜園開設基金」を設立。

2012年「ミャンマーファミリー・クリニックと菜園の会」が正式に発足、団体代表として就任。

 

名知 仁子さんがミャンマーにいる理由とは

医者というと勉強ができるイメージがあるが、小中学校を通して「5」を取ったことは「中学1年の一学期だけ」、高校時代は5、60人中36番といった成績だった。

そんな名知氏が医師を目指したきっかけは父親の入院だったという。

献身的に働く医者を見て医学の道に進むことを決意、一浪の末に獨協医科大学に入学した。

そして卒業後は日本医科大学に入局。

だが、そこは自分が思っていたような世界ではなかった。

学校格差や派閥争いがはびこり、女医蔑視もあったという。

そんな彼女を救ったのがマザーテレサの言葉だ。

「もし、あなたの愛を誰かに与えたら、それは、あなたを豊かにする」

彼女のことばをきっかけに、マザー・テレサがやってきた活動に感銘を受け国際理療を志したという。

周囲の反対を押し切り大学病院を退職したが、その後「副交感神経萎縮症」という難病に襲われた。

ようやく病気を克服したあと「国境なき医師団」での面接を経て登録に漕ぎ着けたのは39歳の時だったという。

後にミャンマーを訪れた時、「日本とミャンマーとの医療格差」にショックを受ける。

高度な医療を受ける場合は隣国のタイへいかなければならないほどだった。

この時へき地の村々が必要とする、基本的な医療ケアにおいても、短期的な現場治療だけではなく、恒常的に診療できるクリニックをミャンマーに作る決心をする。

2008年医療の恩恵を受けられないままミャンマーの暮らす人々のために医療クリニックと菜園をつくり、「ミャンマークリニック菜園開設基金」を設立した。

以降「菜園と医療の自立循環型支援」をめざし、活動を続けているらしい。

 

まとめ

世の中には先生と呼ばれる職種の人が何種類かいるが、医者ほど先生と呼ばれるのにふさわしい仕事はない。

だが、果たして本物の医者が一体どのくらいいるのかは疑問だ。

自らも癌を患い、手術、抗がん剤や放射線治療、辛いはずの闘病を押して、国際医療援助を続ける。

国内で医師として活動していれば難なく安定できる立場を擲って、簡単には改善しえない、途方もない困難に挑んでいる。

見習わねばならない。