今度のトリハダ(秘)スクープ映像では日本最後のスパイ、深谷義治氏が取り上げられる。

深谷氏は今年の4月、99歳でなくなったことが報じられた。

スパイとして中国当局に捕まり、差別と貧困と戦ってきた日本最後の帰還兵である。

その壮絶な人生について調べてみることにした。

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日本最後のスパイ深谷義治氏とは

深谷氏は大田市出身。

22歳で浜田歩兵第21連隊に入り、中国へ。

1940年、極秘任務を受けて軍服を脱ぎ、現地の商人になりすましたという。

戦争中はスパイ活動というのは当たり前の事だった。

国は違うが太平洋戦争中はあの『マッサン』エリーのモデル女性もスパイだと石を投げられた過去もあったという。

疑心暗鬼の時代である。

 

深谷氏はそこで軍から中国人女性と結婚するよう言われる。

その目的はもちろん情報収集。

そして、通貨を偽造して現地の貨幣相場を混乱させる役割を担っていたという。

終戦直後、捕虜となった上官の拘束場所に忍び込み、

「上海で任務続行せよ」

との命令を受ける。

国としての戦争は終わったが、戦後の混乱期は1950年頃までまだまだ続いていた。

 

1949年、中華人民共和国が成立。

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反政府勢力への弾圧が厳しさを増すなか、1958年、ついに深谷氏は中国当局に逮捕された。

それからの1周間は過酷が拷問だったらしい。

戦後のスパイ活動については完全黙秘。

そのためすさまじい追求をうけ、時には意識を失うことも。

容疑を認めれば寛大な扱いを受けられると言われても、それでも口を割ることはなかったらしい。

その背景には

「死んでも国に汚名を着せてはならない」

との信念があったのではないだろうか。

その間、残された家族は「日本の鬼の子」と呼ばれながら、上海の地ですさまじい差別と困窮の生活を強いられることになったそうだ。

奥様は中国の人だっただけに、なおさらその差別がひどかったことは容易に想像できる。

 

1978年、日中平和友好条約締結

大連市との友好都市締結調印式

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鄧小平元中国副首相の訪日の際に特赦されることが決まり、家族は大田市に帰ることが許された。

だが、戦後に何者かが軍人恩給を虚偽申請して横領していたため本来の支給額を大きく下回り、一家はすぐに困窮したという。

子どもたちは両親を養うために、日本語がわからないまま工場で働かなければならなかった。

深谷氏は20年4カ月におよぶ受刑の後遺症と、帰国後も恵まれない生活を送ったことが追い打ちをかけ、重度身体障害者になり、99歳になった今年、無念の中、亡くなった。

まとめ

戦後70年という節目、各テレビ局や新聞などで当時の様子が大きく報じられている。

戦争で何万人の人がなくなったと軽々しく言うが、

その背景には家族や友人がたくさんいるわけで、

メンタル的な被害者も数知れない。

彼の息子が書いた著書

日本国最後の帰還兵 深谷義治とその家族

戦争が再び起きないようにと、私たち一家の強い想いも込めています。

番組では差別と貧困と戦った家族の様子が取り上げられるという。

戦後のこの時期だからこそ、しっかりと見てほしいと思う。